読者様は、歴史に名を残している作曲家というと、誰のことを思い浮かべますか?
ベートーヴェン?モーツァルト?バッハ?
彼らが生み出した名曲たちは長い年月を経て、今でも世界中の人々に親しまれています。
では彼らはどんな楽器を使って作曲していたのでしょうか?
今では当たり前のようにあるピアノも、実はバッハが活躍していた頃にはなかったと言われているんです。
(ベートーヴェン、モーツァルト、バッハの中だと、歴史上バッハが一番古い時代に活躍しました。)
バッハは、日本では「音楽の父」ともいわれるほどの偉大な作曲家で、さまざまなジャンルの曲を世に残しました。
彼の時代にも、当然のようにピアノがあったと考えがちですが実はそうではなかったんですね。
昔の楽器製作家たちの努力と苦難があったからこそ、ピアノの元祖となる楽器が誕生し、その後改良が続けられたことによって今のピアノが存在しているのです。
読者様は、ピアノがどのように発明され、進化してきたのかちょっと気になりませんか?
ピアノが好き!魅力あるピアノだからこそ、ピアノについて色々と気になってしまいますね♪
今回は、以下のことについてお伝えしますね。
- ピアノより古い鍵盤楽器について
- ピアノの成り立ちについて(発明~進化、現在のピアノに至るまで)
- ピアノが黒い理由について
ピアノの歴史や成り立ちに迫る
ピアノは今や、世界中で愛されている鍵盤楽器です。
実はピアノの原型が誕生してから、すでに300年以上の年月が経っているんです。
しかしながら当初のピアノは音を持続させることも、音の強弱をつけることもままなりませんでした。
今では、演奏者の指の動きのとおりに「音」として表現することができる、そして美しい響きをもったピアノになりました。
そんな現在のピアノに至るまでの300年の歴史に迫ってみたいと思います。
バッハが弾いていたのはピアノではなかった?
バッハ(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ, 1685-1750)は、バロック時代に音楽を大きく発展させた功績から、日本では「音楽の父」と称されています。
作曲家兼オルガニストのバッハですが、バッハの時代にはまだピアノが普及するに至っていませんでした。
バッハのオルガン曲以外の作品はピアノではなく、概ねクラヴィコードやチェンバロという鍵盤楽器のために書かれたものとされているのです。
まだ今のピアノはなかったものの、バッハが鍵盤楽器を愛した理由は、バッハの少年時代にあったと推測されます。
少年であったバッハは、ボーイ・ソプラノとして、特待生の待遇を受けるほどの美声をもっていました。
しかし成長に伴う声変わりによって、美しい歌声を失ってしまいます。
とても辛く悲しかったでしょうが、そのとき彼の心を支えたのがオルガンやチェンバロといった鍵盤楽器だったと言われているのです。
私もピアノを弾くことで心を落ち着かせることがあるので、なんとなくですがバッハの気持ちがわかるような気がします。
ピアノより古い鍵盤楽器
バッハもよく使っていたクラヴィコードとチェンバロは、ピアノより古くからある鍵盤楽器です。
これらの楽器の名前は、なんとなく耳にしたことがある方もいらっしゃるかと思います。
この2つの楽器はどのようにして音が出て、どんな特徴をもっていたのでしょうね?
クラヴィコード | タンジェントと呼ばれる金属片が弦をたたいて発音 |
チェンバロ | プレクトラムという爪で弦を振動させることで発音 |
クラヴィコードは、金属片が弦を押し上げて音を出す構造になっています。
音の強弱のニュアンスを細かくコントロールできる、唯一の鍵盤楽器でした。
しかしながら音量が得られず、楽器のそばにいるわずか数人にしか聞こえないほど音が小さかったといいます。(えっ?!数人?音小さすぎですよね(笑))
それに対してチェンバロは、鍵盤を押すと鍵盤の奥の柱が上がって、それについている爪が弦をはじいて発音します。
クラヴィコードより音量はあるものの、自由に音を強弱しづらいことにその当時の音楽家たちは不満をもっていました。
バッハもそのうちの一人であったからこそ、ピアノの開発に携わることになったのでしょう。
ピアノの原型を発明したのはイタリアの楽器製作家
古い書物によると、初めてのピアノ楽器は1700年にはすでに存在していたことがわかっています。
それはバルトロメオ・クリストフォリ(1655-1731)というイタリアの楽器製作家によって作られました。
彼は、鍵盤を押すとハンマーが連動し弦を打って音を鳴らすピアノのメカニズムを発明したのです。
そのピアノを「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」と名付けました。
イタリア語で「弱音から強音まで出せるチェンバロ」という意味の言葉です。
音量の面では改善されたのかもしれませんが、音色はチェンバロに近く、現代のピアノとは程遠いものでした。
いやいや、それでも「ハンマーが弦をたたいた後、弦と接触し続けない」という基本構造を作り出したことは、かなり重大なことだったんです。
ピアノの進化 19世紀半ばまでのフォルテピアノ
当時、演奏家や作曲家から、より力強く持続性の高い響きを求める声が消えることはありませんでした。
クリストフォリの仕事は、イタリアでは後継者がなかったためドイツのオルガン製作家ジルバーマン(1683-1753)がそれを引き継ぎ、改良を重ねました。
ジルバーマンは、ピアノ開発のアドバイスをバッハに求めていたという話があります。
1730年代、バッハはそれに対して「高音域が貧弱、タッチが重い」などとダメ出しを行っていたそうです。(う~ん、厳しい!)
そして1747年、ついにジルバーマンのピアノが認められることになります。
バッハが当時の王の宮廷を尋ねた際、王に献呈されたジルバーマンのピアノを評価し、売り込みにも協力したと言われています。(さすが音楽の父!)
そして18世紀後半、ウィーンを中心にピアノ製作が盛んになります。
バッハが亡くなったあともピアノの改良は続けられます。
モーツァルト(1756-1791)がピアノソナタやピアノ協奏曲の作曲に用いたピアノはこの時代のものです。
この頃のピアノは、黒鍵と白鍵の色が逆のものも存在していたんだそうです。
そして19世紀には産業革命も後押しし、フォルテピアノは大きく改良され現在の形に近づいていくのです。
(※フォルテピアノは19世紀半ば以前の初期ピアノのことを指します。)
現代のモダンピアノへ
19世紀半ば以降のピアノをモダンピアノといいます。
現代のピアノのことですね。
5オクターブまでの音域しかなかったフォルテピアノから、7オクターブ以上の音域へと広がりました。
逆にいうと、フォルテピアノ時代までに作られた曲、モーツァルトが作った曲も音域が狭いということになりますよね!
7オクターブもあるモダンピアノは、オーケストラの音域よりも広いんです。
オーケストラで最も低いコントラバスより低い音、最も高いピッコロよりも高い音を出せるということです。(ふむふむ、なるほど!)
ショパンやリストといったピアニストが活躍した19世紀後半には、オーケストラに匹敵する楽器としてピアノの表現力が磨かれたのです。
音域がただ広いだけでなく、ピアノのもつ豊かな音色から、ピアニストによって音を弾き分けることが可能となりました。
現在のピアノの形が出来上がったのは19世紀末のことだったと言われています。
日本にピアノが持ち込まれたのはいつ?
ピアノが日本に初めて持ち込まれたのは、江戸時代、日本が鎖国をしていた1823年7月6日。
鎖国時代なので日本は海外との接触を制限していました。
しかし例外的に貿易を続けていたオランダから、ピアノが持ち込まれたと言われています。
オランダの陸軍医だったドイツ人医師シーボルトによって、日本へ初めてピアノがもたらされたのです。
それは、熊谷家4代目当主であった五右衛門義比(ごえもんよしかず)が長崎においてシーボルトと親交があったからという話があります。
現在、山口県萩市の熊谷美術館に、シーボルトから贈られた日本最古のピアノが現存しています。
このピアノは国指定重要文化財となっているんです。
約200年前のピアノが保存されているなんて素敵すぎます!
ちなみに、シーボルトが日本にピアノを持ち込んだ7月6日は「ピアノの日」に制定されています。
「ピアノの日」には、いつもより心をこめてピアノを奏でてみたり、ピアノ仲間と語り合ったりするのも良いですね♪
ピアノが黒い理由
ピアノのボディが黒いワケを読者様はご存じですか?
ではそのお話をしていきたいと思います。
1900年、日本もピアノ製造国に仲間入りします。
日本楽器製造株式会社(現ヤマハ)により日本ピアノが開発されました。
当時、世界的には木目ピアノばかりがありました。
しかし製造工程で木目を合わせる必要があり、木材の選定には限界があったのです。
日本は漆(うるし)の産出国、漆の伝統工芸の文化がもっともっと昔からありますよね。
漆器は縄文時代からあったと言われているほどです。
ピアノを漆黒一色に塗装することで、デザインにかけていた余分な手間を省くことが出来たのです。
また、湿気の多い日本はヨーロッパと同じ木目仕上げに適さなかったんだとか。
漆は湿気に強く、耐水性や防腐効果をもっています。
高級品のピアノには高級感のある漆がうってつけだったのです。
ピアノを黒く塗装することで様々な問題点が改善され、最良の木材を利用できるようになっただけでなく、製造における労力を減らすことも実現しました。
その後、ドイツメーカーでも漆黒ピアノの生産を追従することになり、しだいに黒色のピアノが世界標準となります。
「木目ピアノに比べて黒ピアノは華やかで演奏者をより引き立てる」として世界中に広まっていくことになるのです。
その後石油化学の発達により、漆に代わるポリエチレンやポリウレタン等の黒色塗料の性能が上がり、コストダウンにつながることになります。
高度成長期には一家に一台のピアノ時代へ。
そのコストダウンにより黒ピアノは一気に広がっていきました。
そして日本産ピアノが世界シェアのほとんどを占めていくようになるのです。
ピアノの世界シェア1位と2位を日本のメーカーが独占?!
1969年ピアノの生産台数でヤマハが世界一となりました。
2007年には、ヤマハが世界三大ピアノの1つであるベーゼンドルファー(オーストリア)を買収したことでも話題になりました。
それによりヤマハは超高級ピアノのブランド力を手に入れました。
ピアノといえば88鍵盤が主流ですが、ベーゼンドルファーは97鍵盤(8オクターブ)を備えたグランドピアノがあることも有名なんです。
19世紀にはベーゼンドルファーのピアノは超絶技巧で名の知れているリストの激しい演奏にも耐え抜き、そのことで多くのピアニストや作曲家の支持を得て、世界三大ピアノブランドにまで昇り詰めました。
(リストについて気になる方はこちらをご覧くださいね→「ピアノの魔術師」リストと代表曲をご紹介♪)
ちなみにカワイは、ヤマハに次いで世界シェア2位です。
カワイはあのスタインウェイの第2ブランドのOEM生産も行っています。
(※OEM生産とは他社ブランド製品の製造を担当することをいいます。)
国内メーカーの技術の高さはもちろん、世界の有名ブランドとタッグを組んでいることからも日本のピアノブランドは安泰ですね。
さいごに、もし良かったらブランド別のピアノの音色を聴き比べてみてください。
楽しんでいただけるかと思います。
ピアノブランドによってこんなに音色が異なるんですね。(なかなかグランドピアノを弾く機会はありませんが…(笑))
音の好みはあるかと思いますが、ヤマハは華やかな音色と歯切れのよい響きが特徴的だと感じました。
そしてピアノがここまでの音色になるにはとてもとても長い年月がかかりましたね。
今回、ピアノの歴史に触れてみていかがでしたか?
ピアノが今、美しい音色と洗練されたクリアな響きをもっているのは、これまでの音楽家の熱い要求と楽器製作家による一途な取り組みがあったおかげだと私は思いました。
読者様もピアノを奏でながら、ピアノの歴史について時々思い出してみてくださいね♪
最後までお読みいただきありがとうございました。
次の記事もお楽しみに。