読者様は、クララ・シューマンという女性のピアニストはご存じでしょうか?
著名なシューマンやブラームスの名前は知っているけれど、彼女の名前は知らないという人も多いのかもしれませんね。
実は、クララはこの二人にとても関係の深い人物なんです。
そして、クララのピアニストとしての生き方を知れば、きっと読者様も勇気付けられ、「ピアニストの人生ってなんだか面白い!」と感じられると思います♪
そこで今回は、彼女の半生を描いた映画「クララ・シューマン 愛の協奏曲」を実際に観てみたので、私なりに思う彼女の魅力をお伝えしたいと思います!
※一部映画のネタバレを含む可能性がありますので、ご注意ください!
《ピアノ映画紹介》クララ・シューマンはどんなピアニスト?
クララは有名な作曲家シューマンの妻であり、自身も「19世紀最高の女性ピアニスト」と称されている女性です。
そして、その功績がたたえられ、ユーロに統合される前の100ドイツマルク紙幣にクララの肖像画が使われるほど、国民にも親しまれているんですね。
そこで映画の内容について紹介する前に、簡単にクララの経歴について解説しますね!
クララの少女時代
クララは1819年にドイツのライプツィヒで生まれました。
父親のフリードリヒ・ヴィークはピアノ教師で、一家の生計を立てるためにクララにピアニストの英才教育を施したと言われています。
ちなみに、クララはなんと9歳の若さで演奏会デビューし、12歳でヨーロッパ各地でコンサートツアーを開くほどの天才少女でした。
初めて彼女の演奏を聞いた観客は、みんな口をそろえて「あの子は一体誰なんだ!?」とびっくりしたそうですね!
そしてその才能は全く衰えを知らず、18歳の頃には、オーストリア皇帝より王室皇室内楽奏者の称号を与えられます。
これは外国人の女性としては初の快挙だったそうです。
ピアノの才能が全くなかった私にとっては、彼女の少女時代は本当にうらやましすぎます!
シューマンとの結婚
1828年に将来の夫となるシューマンがクララの父親ヴィークに弟子入りし、そこで初めてクララと出会いました。
その時はクララはまだ9歳、シューマンは18歳だったため、兄と妹のような関係だったそうです。
クララが16歳になった頃、シューマンが別の女性との婚約を解消すると、二人の距離は急に縮まっていきました。
(なんだか禁断の恋って感じでドキドキしますね!)
ただ、やはりまだまだ年齢的に若いクララです。
クララの父親ヴィークは、自分の娘と弟子の交際には猛反対しました。
ですが、なかなか折り合いがつかず、最終的にはなんと裁判にまで発展したそうです。
二人が初めて出会ってから12年後、ついに裁判で決着がつき、クララとシューマンは晴れて夫婦となれたのでした。
それにしても、肉親と裁判まで起こしてまで結婚した二人ってすごいですね・・・。
私なら絶対に無理です(笑)
家庭と仕事の両立
結婚後のクララは、シューマンの作曲をサポートしながら、自らもピアニストとしてコンサートツアーを続けていました。
さらに、これもまたすごいエピソードなのですが、クララは生涯で子供を8人出産したと言われています。
夫のサポートや8人の子育てをしながら、自分も第一線のピアニストとして活躍を続けるなんてまさにスーパーウーマンですよね!
ちなみに映画「クララ・シューマン 愛の協奏曲」では、結婚後のクララの半生が描かれています。
ここまでどうですか?
これだけでもすごく興味が湧く人物ですよね♪
では、ここからは映画の中身をお伝えしますね!
《ピアノ映画紹介》主な登場人物をご紹介!!
- クララ・シューマン
(1819年−1896年)
-
幼い頃から天才少女と呼ばれ、19世紀最高の女性ピアニストと称される。
ヨーロッパ各地で演奏会ツアーを行い、人気のコンサートピアニストだった。
作曲家のシューマンと結婚してからは、夫のサポートや子育てと仕事の両立に悩む。
音楽的才能もさることながら、気丈で活動的な女性。<主な作品>
3つのロマンス Op.11
ソナチネ
音楽の夜会 Op.6
- ロベルト・シューマン
(1810年−1856年)
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クララの夫。作曲家として数々の名曲を残す。
若い頃は名門ライプツィヒ大学で法律を学んでいたが、次第に音楽へ情熱を傾け、音楽の道に進む。
文学の素養もあり、音楽作品に影響を与えたとされる。
精神病を患い、映画では頭痛や幻聴に悩まされ、暴力的になる一面も。<主な作品>
子供の情景 Op.15
謝肉祭「4つの音符による面白い情景」 Op.9
クライスレリアーナ Op.16
- ヨハネス・ブラームス
(1833年−1897年)
-
作曲家兼ピアニスト。もともと海沿いのパブでピアノを演奏していた。
シューマン夫妻に憧れ、自作の楽譜を送ったが返送されてしまう。
再び夫妻の元を訪ね、住み込みで弟子入りすることに。
クララのことを慕い、生涯にわたって支え続ける。<主な作品>
ピアノ協奏曲 第2番 Op.83 変ロ長調
交響曲 第1番 Op.68
ハンガリー舞曲集 WoO.1上記画像の引用元:映画「クララ・シューマン 愛の協奏曲」
《ピアノ映画紹介》女性ピアニストとして活躍するクララの苦悩(ネタバレ注意)
映画の中で、クララは女性ピアニストとして活躍する一方、周囲から認められず苦労するシーンが多く描かれています。
精神病に侵されながらも、作曲家としてのプライドが高い夫シューマン。
女性の指揮者を認めようとしない楽団とそのマネージャー。
私が思う彼女の尊敬すべき点は、あらゆる批判や反発に対して、クララはあくまで冷静に対処しているところですね。
「もし自分だったら・・・」と当時の彼女を想像しながら考えると、おそらく我慢できずに逆ギレするか、諦めてしまうことでしょう(笑)
そんなクララの姿を、映画のシーンに沿って解説していきます。
夫シューマンのプライド
「僕の妻でいるだけではダメなのかい?」
幼い頃から作曲にも親しんできたクララは、映画の中でも「作曲がしたいわ」とこぼすシーンがあります。
ところが、作曲家として活躍していたクララの夫シューマンは、クララが作曲に取り組むことについて良く思っていませんでした。
映画の中ではそのように描かれていますが、もちろん実際はどうだったのかわかりません。
ただ、夫のメンツを立てるために才能を発揮できずにいることに彼女は理不尽さを感じていて、とてもリアリティのあるシーンでした。
精神病を患う夫へのサポート
さらに、夫シューマンはアルコール依存症かと言われるくらいの飲んだくれ。
精神病も患い、頭痛や幻聴にも苦しんでいたようです。
シューマンはクララに幾度となく、鎮痛剤のアヘンチンキを要求します。
一家の生活が苦しい中、シューマンはようやく音楽監督の定職に就けましたが、とてもオーケストラの指揮が務まるような状態ではありません。
映画では、クララは指揮を中断して早退したシューマンを優しく諭しますが、頑固な夫は全く聞く耳を持ちません。
頼りない上に、耳を貸そうとしない夫。
なんだか、どの時代もこういう旦那っているんだな〜と妙に納得してしまいます。
女性の指揮者を認めない楽団
「女性が指揮をするなんて恥さらしだ」
体調が悪く、まともに指揮ができないシューマン。
家計も苦しいので、せっかく就いた職を失うわけにはいきません。
頼りない夫の代わりに、クララはオーケストラの指揮者を代行しようとします。
ところが、楽団員は女性の指揮者なんて見たことがなく、現代だったらセクハラと捉えられるようなからかいの言葉が飛び交います。
特に楽団のマネージャーは、ずっとクララを認めようとはしませんでした。
しかしながら、クララは決して感情的にならず実力で周囲を認めさせ、ついに楽団の指揮者の座を勝ち取ったのです。
指揮者としてようやく認められたクララが、笑いながら野原を駆け回るシーンはまるで少女のようで、私も思わずガッツポーズをしたくなりました。
「逆立ちしたい気分だわ♪」
逆境を乗り越えて仕事がうまくいった時は、誰でも飛び上がりたいくらいうれしいものですよね!
冷静に壁を乗り越えるクララ
「私は指揮に反対したのだが、結局妻に押し切られた」
シューマンの代わりにオーケストラの指揮を務めるクララですが、夫からまさかの一言が。
あなたができないから、代わりに頑張って仕事してるんでしょう?!と、思わずツッコミを入れたくなります。
もし自分がクララの立場だったら、絶対泣きますよね!
そんなことを言われてしまったクララですが、楽団のコンサートまでしっかりサポートします。
詳しくは言いませんが、このコンサートの指揮のシーンは「こんなのアリ?!」と驚くことでしょう。
ちょっと滑稽な描写にも思えますが、無事にコンサートを乗り切ったクララに「お疲れさま」と言ってあげたくなるシーンです♪
《ピアノ映画紹介》ブラームスとの三角関係(ネタバレ注意)
ブラームスも有名なピアニスト兼作曲家で、名前を聞いたことがある人も多いのではないかと思います。
実はブラームスはシューマンに弟子入りしており、クララとも親しい関係にありました。
シューマンが亡くなった後も、クララとブラームスはクララが亡くなるまで長年親交があったそうです。
亡くなる前にシューマンは「私は知っている」と意味深な言葉を遺したとも言われています。
というのも、クララの最後の子供の父親はブラームスではないか?と疑っていたという説もあるからです。
ただ、二人の関係はあくまでプラトニックだったという説もあり、真実については謎に包まれたままです。
興味深いのが、この映画の監督であるヘルマ・サンダース=ブラームス氏です。
お気付きの人もいるかと思いますが、なんと監督はブラームス家の末裔なのです!
映画に登場するブラームスの叔父の子孫にあたるそうです。
ブラームスとクララ、そしてシューマンの三角関係について、この映画ではどのように描かれているのでしょうか。
気になる人は、ぜひ映画を観てくださいね!
クララにぞっこんのブラームス
クララとブラームスが出会ったのは、1853年だったと言われています。
その頃クララは34歳、ブラームスは20歳の青年です。
ブラームスはシューマンの家に住み込み、音楽を学んでいきます。
クララの子どもたちの面倒も見ており、遊んでくれる優しいお兄さんという感じでした。
ところがある時から、ブラームスはクララにちょっかいを出し始めます。
ブラームスがクララを見つめる視線がもう、熱いんですよね。
クララは適当にあしらっていますが、正直こんな若くてかっこいいイケメンな男性に迫られたら、私ならクラっときてしまいそうです(笑)
夫や仕事で苦労しているクララにとっても、自分を支えてくれるブラームスはなくてはならない存在です。
もちろん同じ家に夫のシューマンも暮らしているわけですから、関係性はそれ以上発展しません。
映画の中でも、シューマンが新たに作った曲の演奏を聴いたクララは「気難しいところがあっても、生み出す音楽は美しい」と話しています。
「だから彼が好き」
観ているこちらはシューマンの頼りなさにイライラしてしまいますが、クララにとってはやはり尊敬する大切な夫なのですね。
ブラームスという魅力的な存在が近くにいながらも、ブレないクララには頭が下がります!
ブラームスの「ハンガリー舞曲 第5番」
映画の中でブラームスによってピアノ演奏されている「ハンガリー舞曲 第5番」は、ブラームスの曲です。
ヘパ○ーゼのテレビコマーシャルにも使われたそのメロディーに、聴き覚えのある人も多いのではないかと思います。
どんな曲だったかな〜?という人のために、参考になる動画をご紹介しますね。
2分程度の短い動画ですので、ぜひご覧ください!
ハンガリーのジブシーの民族音楽をもとにした曲で、印象的なメロディーが続きますよね。
この映画を見てからというもの、私はこの曲がずっと頭から離れません(笑)
この曲はピアノの連弾や、オーケストラでも演奏されています。
映画ではこの曲のほかにも、クララやシューマン、そしてブラームスが作曲したたくさんのピアノ曲が演奏されています。
エンドロールでは、映画の中で演奏されている曲名も流れるので、ぜひ採用された曲にも注目して観てみてくださいね。
《ピアノ映画紹介》他のピアニストとのつながりが面白い!
著名なピアニストや作曲家の人物像について調べていくと、同時代に生きた音楽家たちに意外な接点があって面白いです。
この人とこの人がつながるんだ!と驚くこともしばしばあります。
おそらく数々の名曲を残した作曲家たちは、同時代の他の音楽家たちの影響を受けながら、オリジナリティのある曲を生み出していったのでしょう。
例えば、リストは1811年生まれ、ショパンは1810年生まれ(諸説あり)なので、1819年に生まれたクララ・シューマンとはほぼ同時代に生きています。
派手な演奏方法で有名なリストに対して、クララはあまりよく思っていなかったという話があります。
その一方で、クララは「リストのような超絶技巧の演奏はできない」と悔し涙を流したというエピソードもあります。
病気がちで繊細なショパンと社交的なリストも、対照的な性格だったとして語られることが多いです。
作曲家やピアニストたちの人物像を調べていくと、いろいろと面白い発見があります。
今後このサイトでは、ピアノ演奏に関する役に立つ情報に加え、私が観たオススメの映画や、読者様にぜひ紹介したいピアニストも紹介していきたいと思います。
なので、この映画についての感想や、今後取り上げて欲しい作曲家やピアニスト、映画についてリクエストがありましたら、ぜひこの記事にコメントしていただければと思います♪
次回の更新も楽しみにしていてくださいね!
「クララ・シューマン 愛の協奏曲」は勇気付けられるピアノ映画
今回は、ピアノを題材にした映画として「クララ・シューマン 愛の協奏曲」をご紹介しました。
現代でもワーキングマザーの大変さについては多く取り上げられますが、19世紀前半にクララみたいな女性がいたことには驚きますよね。
ピアニストとして天才的な才能を持ち世界で活躍する一方で、女性ならではの職業的な壁や家庭での苦労。
ブラームスとの三角関係も人間味を感じられて、興味深いですよね。
クララは私にとって憧れの女性となりました♪
読者様も、ぜひこの映画を観て音楽家の人生に触れてみてくださいね!
最後までお読みいただきありがとうございました。
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人物相関図
顔写真の引用元:映画「クララ・シューマン 愛の協奏曲」(人物相関図は筆者作成)